銀河カレッジ施設長(銀河の会)  梅田 伊津子さん

とある熊本人

宇土市にある支援センター「銀河カレッジ」。

その施設長をされているのが梅田 伊津子さんです。

銀河カレッジを運営している【銀河の会】は「障がいを持つ人が、その程度にかかわらず、仕事をし、創造活動をし、レクリエーションを楽しむ、豊かで生き生きとした地域生活の実現」を目指して運営をしている福祉団体になります。(銀河の会ホームページ参照)

今回、子ども食堂について銀河の会の施設の一つ「昭和カフェ 銀乃船」でお話を聞きに伺ったところ、梅田さんが銀河カレッジの施設長をするまでの話にあまりにも心動かされたので記事にさせてもらいました。

〈経歴〉

1945年(昭和20年) 7月22日生まれ

1986年  障害をもつ親たち、ボランティアで「宇土星のおもちゃ図書館」を開館

1992年  宇土市外街に地域の方々との交流拠点として「銀の船クラフト館」開店。

1996年 「銀河カレッジ」代表者に就任

2004年  社会福祉法人銀河の会 理事に就任

2007年  障害者自立支援法に移行したため、「支援センター銀河カレッジ」に名称変更。あわせて施設長に就任

銀河の会はたくさん事業を運営されていますね。

「銀河カレッジは就労の場なんです。とにかくみなさん(利用者の方)社会人なんだから社会で生きていかなければいけない。みなさん毎日お仕事をしっかりやってもらって事業所もお給料を出します。

銀河フィオーレ1階は生活介護事業をして、2階3階はショートステイとグループホーム。ここは生活介護事業だけど仕事もしてもらっています。仕事と活動とリハビリとですね。障がいが重い方が多いので。

あとここの昭和カフェ銀乃船があります。」

↑銀河カレッジ

↓銀河フィオーレ

↓銀河カレッジの利用者がウエイター・ウエイトレスとして働く「昭和カフェ 銀乃船」。月に1回子ども食堂も行っている。

すごくたくさんありますね。全部をまとめていらしゃるんですか?

「一応(笑)私がつくったもんですから。少しずつね。スタッフも増えてみんなやる気があって一生懸命やってくれるもんで。」

子ども食堂の事業もされてますよね?

「地域に何か貢献できることがあればと思って。

何ができるってわけじゃないけど…私たちは食事する場所(昭和カフェ 銀乃船)を持っているでしょう。だから子ども食堂をするにしても来てもらいやすいんです。

利用する人も平均50〜60人くらい。最近は100人越え。コロナ禍のお弁当は150〜200人くらいでした。

会食では座る場所が限られているでしょ。だから譲り合っていろんな人が同じ空間にいる。黙って食べてもいいし、おしゃべりしてもいいし。高齢の方から赤ちゃんまで自由に。

この歳になると小さい子が可愛いのよね。ちっちゃい子がヨチヨチしてるとかまいたくなるの。子育て中のお母さんもこの時は子どもが何しようがゆっくり食事をしてほしい。子ども同士で遊んだり。そういう場が少しでも提供できたらと思って。

そんな胸張って『こんなことしています!』っていう感じじゃないんですよ(笑)。」

↑↓昭和カフェ 銀乃船で月に1回行われている子ども食堂(地域食堂)の【未来食堂】での様子。

梅田施設長が紙芝居をすると自然と子どもたちが寄ってきて笑顔に囲まれる。

いえいえ!
なかなかできることではないです。
最近よく思うんです。
何かを始めるってすごい勇気のいることだなって。
特に最初の一歩を踏み出すのは大変だと思います。

「最初はね、おもちゃ図書館って知ってる?障がいのある子どもたちがおもちゃを通して遊ぶ…まぁ遊び場作り。世界的な活動なんです。障がいをもつ子がなかなか遊ぶ場所がないっていうことでボランティアがきて一緒に遊んで帰るってところなの。それを私が本で読んで『やろう!』と思って始めたのが最初。私も障がいのある子の親だったんです。どこかに【いる場所】が欲しいってずっと思っていて。それで私が作ろうよって呼びかけたんです。7〜8人の障がいをもつ子のお母さんと繋がって、子ども達を連れて。月に何回かですけど…。問題は場所ですが社協の方に行って、土曜の午後だったらってことで社協の建物の機能訓練室を借りて定期的にやっていました。他にもハイキングに行ったり、おもちゃ図書館の九州ブロックまで研修旅行に行ったり。そうやってお母さん同士子どもと一緒に活動を始めたの。その時は子どもが小さかったけど『将来的に地域で生きていくっていうことを求めていく。そういう場をつくろうよ。』っていうのが始まりです。」

お母さん同士で集まって作った場所がキッカケだったんですね。
そこからどうやって事業にしたのですか?

「お金もない。補助とかも全然思ってなくて。自分たちで使う分は自分たちでだそう。そうしながら一つの拠点として「銀の船クラフト館」っていうお店を作ったの。支援学級の先生だった方が『空いてる場があるから使っていいよ』って言ってくださって。お店作って、お母さん達で交代交代でお留守番して、私が仕入れ担当や旗振り役をして。みなさんそれぞれだけど同じ思いが集まった。みんな「子どもの行き場を」作りたいって思いがあったんです。それで描いたのがあの絵。」

(↑「昭和カフェ 銀乃船」に今も飾ってある梅田施設長の絵)

「銀乃船にみんな乗ってね…どこかわからないけど、とにかくみんなで行って何かやっていこうよっていう想いで描いたんです。アレが本当に最初の精神。

そうやって始めて、学校を子どもたちが来年の春卒業するってなって。そういう場(障がいをもつ子どもの行き場)を作りたい。行き場がないからね。宇土市に『自分たちがこうやってやれることはやるけど、行政がやれることはやってほしい。情報をください。』て。やるってことは自分たちで決めてたからオンブに抱っこなんて思っていない。頼らない。自分たちでやっていかないと心許ない。県庁に行って『自分たちはこういう場が欲しいんです!県の事業でないですか?』って話を聞きに行ったり。お母さん達7〜8人でいって…今思うとね、よく動いたわね(笑)

動いたら動いただけ得るものがあるんですよ。いろんな情報ももらって。全然思って(期待して)なかったけど宇土市が建物を造ってくれたんです。私はどこか古い家を借りて、みんなでなおして、そこで子ども達が来て仕事してお母さん達が交代で子どもと一緒にお仕事をする。そういうふうに思っていたの。そうしたら市が作りましょうと言ってくれた。」

宇土市も梅田施設長達の活動をずっと見ていてくれたんですね。

「そうね。お店を作った時も福祉課の方が開店式にも来てくれて、市もちゃんと見ていてくれた。しっかり親たちがやってるなって。運営はあなた方がしてください、代わりに建物は市が貸しますってことで。そうして運営が始まった。前に県庁に行ったって言ったでしょう。運営についても県の事業として申請して今ちょうど助成があるということを教えてもらった。県庁に行かなければ知らなかった。」

タイミングがちょうど合ったんですね!
ここまでの活動の積み重ねがあってこそですが。

どんな状況だろうと自分たちでやるって決めてましたから。でもその県の事業が素晴らしいものでね。それまでは通所の小規模作業所を自分たちで少しずつお金出し合って作ろうとしてました。余ったら積み立てして。現実的でしょ?でも思いもよらない補助事業を教えてもらったんです。それを使って運営していくことが出来ました。ハローワークに求人を出して職員も雇うことが出来た。子どもはね、職場にまで親がいたら嫌じゃない。せめて出先では違うスタッフと過ごすというふうにした。男性1人女性1人雇って。」

そこに至るまでにどのくらいの月日がかかりましたか?

「平成8年に銀河カレッジをオープンしたけど、その前に10年くらい活動しました。でもそれも楽しくやってた。レクレーションなんかして。障がいがあっても普通に楽しく育てないと。そこは私はそう思ってます。普通のこととは違って大変なこともありますけど基本楽しく生きていく。

そういう梅田施設長の姿を見て他の人もついてきてくれたんだと思います。

「そうかもしれない…でもみなさんすごいんですよ!一人一人集まってくれた人が。学校もみんな違うし子育ての仕方も違う。」

ネットのない時代にどうやってみなさんと繋がることが出来たのですか?

「障がいがある子の通園保育園が川尻にあったんです。個人的なことを言うと、私は障がいのあるないに関わらず分けることが間違いだと思っています。あってもなくても地元の保育園や小学校に行くことができるべきだという強い信念があって。そうすると地元に友達ができるでしょ。子どもはその子のそのままを受け止める。でも、いろいろやってきましたが…通園保育園に関してはそこじゃないとダメってなって行きました。もちろんそこ(通所保育園)は素晴らしいところです。そしてそこで繋がりもできました。繋がりが繋がりを呼んで複数のお母さんが集まった。地域もバラバラで。そこが始まりです。」

そこからこんないろんな施設や事業所にまでなったんですね。

私はやりたいことはやれるだけのことをやってきました。グループホームも最初から必要だと思っていて『いつかやろう!』と思っていた。ショートステイも障がいの重い方々がね昔はねいく場所がないっていうところがあった。今は違いますよ。いろいろと…楽勝じゃないですよ。大変ですけど。」

大変…
そう言いながらも梅田施設長は優しく笑っていたのが印象的でした。
親たちの自分の子どもへの愛情が他の子への支援にもつながる事業へ発展する。
一つ一つの愛情で社会全体が優しくなった形を見たような気がしました。

この後、梅田施設長は次のアポイントがあったので別れたのですが、「昭和カフェ 銀乃船」の美味しい食事をしっかり堪能させて頂きました。

梅田施設長ありがとうございました。

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